2007年入間基地航空祭(2007年11月3日) ワタシが前回入間に行ったのは2004年。この年は航空自衛隊創設50周年ということで、スペマー機大集合という美味しい内容であったのだが、なにせ凄まじいまでの混雑ぶりなので一度行くとしばらくは行く気にならないのが入間基地航空祭なのである(笑)。今年は8月に買ったデジイチの慣らしも兼ねて、人混みをかき分けるべく0550ごろに家を出たのであった。 地上展示は21機種24機(機内公開2機、用廃機1機を含む)に加えて格納庫内展示が2機、それにブルーインパルスが7機(展示飛行は6機)。今年は空自機以外には陸海自のみならずマリンコのホーネットまで展示された。入間で星のマークを見るのは何年ぶりであらうか。残念なことに10月31日に発生した事故の影響でF-2が展示されなかったのであるが、ホーネットはその埋め合わせなのだらうか(んなこたぁない)。飛行展示は曇りのち晴れというまずまずの空のもとスケジュール通り実施され、ブルーインパルスもきっちりと飛んでくれたのであった。 というわけで、今年のメダマは地元・航空総隊司令部飛行隊の創設50年を言祝いで登場したスペシャルマーキング機。空自50周年の時と同様に黒を基調としたセンスのいいもので、ある意味安心して見ていられるのである(笑)。また所属するT-4全機のインテーク後方には記念ステッカーが貼られていた。 入間で前に米軍機が展示されたのがいつなのか、よくは知らないのであるが、少なくともワタシ的には1986年のF-5EやF-16A以来となるはず(ちゃんと調べるのは('A`)マンドクセ )。てことで、やってきたのはMCAS岩国のMAG-12からVMFA-312所属のF/A-18A+が2機。機体自体はそれほど珍しいわけではないが、なにしろ入間という場所にいるのが珍しいのである(笑)。機首のモデックスが3桁になっているが、岩国のマリンコの単座型ホーネットは他の飛行隊もこうなってるんだっけ?(^◇^;) 入間に保管されているF-1初号機が、最後に所属していた第6飛行隊のマークもそのままに展示された。もちろん用廃機であるがなんとも懐かしい。来年F-2が展示されたなら、ぜひ並べてやってほしいもんである。 KV-107IIA-5は浜松救難隊の所属で、もはやこの機体は浜松に2機しか残っていないはず。来年の今ごろまで飛んでいるのであらうか。でも考えてみればその2機とも1990年領収なので、たった17年しか飛んでいないのである。同じ頃に作られたスウェーデンやサウジアラビア向けの機体はまだ飛んでいるのだから、せめてエアーパークあたりで動態保存してくれないものであらうか。 その救難隊の現在の装備機であるが、地上展示は百里救難隊のUH-60JとU-125Aだったのであるが、救難展示はUH-60JもU-125Aも新潟救難隊が担当した。なぜにわざわざ新潟から? と思っていたら、翌日にツインリンクもてぎで開催されていたオートボルテージュの会場で百里救難隊が救難展示を実施していたのであった。2日連続で休日出勤しては本業に差し支える、というわけかな? 格納庫内にはT-4が2機。手前の機体はジャッキアップされ、動翼の動きや脚の出し入れをデモっていた。また奥の機体は機体じゅうの点検パネルが開けられて臓物をさらけ出していた(爆)。その脇には入間基地に所属する機体のエンジンや、パイロットが装備するサバイバルキットの中身、救命ボートやパラシュートなどが展示されていた。 飛行展示は次の通り。 ブルーの演技が終わると会場を埋め尽くした観客が一斉に帰り始める。空いたエプロンを展示機のほうに向かうとすでに外来機の帰投準備が始まっているのである。てことで、自分がいた位置から撮影できた帰投する展示機はこちら。ちょうど離陸する機体が滑走路を離れるあたりの位置にいたので、離陸の瞬間を撮れたのはいいのであるが、ヘリ各機はもっと左手の会場中央寄りから上がっていったのでほとんど撮れず(泣)。また、マリンコのホーネットは離陸直後に大捻りしてくれたのだが、それも遠くて満足な写真が撮れなかった。今どき貴重なのにのにのに。_| ̄|○ 《地上展示機一覧》 お昼過ぎ、ブルーインパルスの展示が始まるちょっと前に、すでに足の踏み場もないブルー4番機の前に強引に踏み込んでいった。本日のもうひとつの目的(むしろこっちのほうが重要だったかも)である、ミク友あきにゃんちゃんのカレシを確認するためである(笑)。彼女らが陣取っている場所の真後ろまでなんとか到達し、肩越しに挨拶(笑)。実はこの時ワタシは大きな間違いをしていたのであった。あきにゃんちゃんからのメールなどに書かれていた「写真好きの上司」をカレシとばかり思いこんでいたのである。現場に着いて最初に紹介された「写真好きの上司」をしっかりと(でも後ろからだからあまりよくわからない)観察したのだが、実は本当のカレシは彼女の右にいたおとなしい人だったのであった(走召木亥火暴)。うぉーなんてこった! よく見れなかったよぉぉぉぉぉ。_| ̄|○ ブルーの帰投を見届けて1615過ぎに基地を後にする。稲荷山公園駅はさすがに客あしらいが上手く、スムーズに電車に乗ることができた(しかもラッキーなことにこの駅始発の臨時列車だったので座れた(^^)v)。この日はこのあと川崎の「ペパーランド」で怪しい模型仲間が集まっての飲み会だったので、南武線に乗ったら溝ノ口を通り過ぎてそのまま川崎まで。1800から2300過ぎまで延々5時間も騒いで帰宅したのが日付も変わった0030ごろであった。いやはや、なんとも長い一日であったことよ。(^。^;)ヨホホホ |