自衛隊航空略年表(1955年〜1959年)

〜1954年1955年1956年1957年1958年1959年1960年〜


《1955年(昭和30年)》

1月3日【空】臨時芦屋派遣隊、芦屋から築城に移動
16日【海】供与のPV-2×17機を受領
20日【空】MSA協定にもとづく航空機第1回納入、T-6(35機)は松島、T-33A(6機)は築城、C-46(16機)は立川と浜松に配備
【空】臨時芦屋派遣隊を臨時築城派遣隊と改称
2月1日【空】立川に臨時立川派遣隊(C-46)を編成
3月1日【空】防府に第2航空教育隊を編成
【空】浜松に臨時教材整備隊を編成
【空】臨時立川派遣隊を立川輸送航空隊と改称
5月28日【空】築城で教育を受けていた第1期ジェット操縦学生が卒業、日本初のジェットパイロットとなる
6月5日【陸】富士LM-1の1号機初飛行
6日【空】立川輸送航空隊隷下に臨時美保派遣隊(C-46)を編成
12日【空】臨時美保派遣隊、立川から美保に移動(30日完了)
7月この月【陸】第1航空隊、浜松から霞ヶ浦に移動(1956年とする資料あり)
15日【海】鹿屋に訓練飛行隊群と、隷下に第1(PV-2),第2(TBM)訓練飛行隊を編成
29日【陸】航空学校、浜松から明野に移動
9月10日【空】築城飛行場が米空軍から返還
20日【空】第2航空教育隊を第1航空教育隊に編入
【空】臨時教材整備隊(浜松)を教材整備隊と改称
10月12日【空】MSA協定に基づきF-86F×7機を築城基地において初受領
15日【空】T-34Aの富士重工製ライセンス生産1号機初飛行
18日【海】供与のJRF×4機のうち2機を受領(残り2機は11月25日に受領)
11月1日【空】操縦学校(浜松)を第1操縦学校と改称
【空】防府に第1操縦学校分校(T-6)を編成
【空】松島に第2操縦学校(T-6)を編成
【空】臨時松島派遣隊を廃止
14日【海】鹿屋航空隊隷下に第1(SNJ),第2(TBM,SNJ),第3(TBM),第4(PV-2),第5(PV-2)飛行隊を編成
【海】館山航空隊隷下に第101(ベル47),第102(WS-51),第103(S-55,KAL-2)飛行隊を編成
12月1日【空】浜松に航空団を編成
【空】浜松に実験航空隊を編成
16日【海】佐世保地方隊隷下に鹿屋第2航空隊(JRF)を編成、部隊を大村に置く
18日【陸】第6航空隊、霞ヶ浦から霞目に移動(1956年10月とする資料あり)

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《1956年(昭和31年)》

この年【陸】第3航空隊、浜松から八尾に移動
1月10日【空】航空団に第1飛行隊(F-86F)を編成、部隊を築城に置く
16日【海】供与のP2V-7 1号機をロッキード社バーバンク工場で受領(2号機は2月1日に受領)
25日【陸】小月に西部方面航空隊を編成
2月2日【空】バンパイアT.55受領、実験航空隊(浜松)に配備
17日【海】供与のPBY-6A×2機のうち1機を受領(残り1機は5月20日に受領)、鹿屋第2航空隊に配備
29日【空】防府基地、米空軍から全面返還
3月7日【海】供与のP2V-7×2機が羽田に到着、鹿屋航空隊第5飛行隊に配備(後に第1飛行隊に移管?)
31日【空】第1操縦学校、浜松から小月に移動(1955年11月1日とする資料あり)
4月この月【空】小月基地が陸上自衛隊から移管
【空】T-28Bが三菱から防衛庁に買い上げられ航空自衛隊に配備
6月16日【海】大湊地方隊隷下に大湊航空隊を編成、WS-51を館山航空隊より移管(5月16日とする資料あり)
8月この月【海】訓練飛行隊群(鹿屋)を解散
1日【空】入間川に臨時航空訓練部を編成
24日【空】第1飛行隊(航空団)、築城から浜松に移動
25日【空】航空団(浜松)に第2飛行隊(F-86F)を編成
9月10日【海】ベル47Gを2機、南極観測用として海上保安庁に貸与(1957年8月返還)
20日【空】F-86Fの三菱重工製ライセンス生産1号機(62-7701)受領
27日【陸】霞目に第9管区第9航空隊を編成(1957年2月20日とする資料あり)
10月1日【空】航空団(浜松)を第1航空団と改称
【空】浜松に第2航空団と、隷下に第3飛行隊(F-86F)を編成
2日【陸】LM-1の1号機(21001)受領
11月この月【陸】第4航空隊、小月から目達原に移動
1日【空】立川輸送航空隊を解散
【空】立川基地を廃止
12月1日【空】宮城県に矢の目基地(現・仙台空港)設置
【空】矢の目基地に第2操縦学校分校(T-6)を編成
【海】鹿屋第2航空隊を大村航空隊と改称
16日【海】鹿屋航空隊に教育部と、隷下に第201教育飛行隊(SNJ)を編成

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《1957年(昭和32年)》

1月21日【空】T-33Aの川崎重工製ライセンス生産1号機(61-5201)受領
2月1日【空】第2航空団(浜松)に第4飛行隊(F-86F)を編成
【空】第1航空団(浜松)に第5飛行隊(Fー86F)を編成
19日【空】小松飛行場が米空軍から返還
3月この月【陸】第9航空隊、霞目から八戸に移動
6日【陸】H-19C(傾斜テールブーム型)1号機(40006)受領
16日【海】横須賀地方隊隷下に八戸航空隊を編成
【海】岩国航空教育派遣隊(SNB)を新編
31日【空】実験航空隊、浜松から岐阜に移動(25日とする資料あり)
4月4日【海】米軍供与のS2F-1の最初の2機を受領
5月1日【海】鹿屋航空隊に第6飛行隊(S2F-1)を編成
6日【陸】霞目飛行場が米軍から返還
17日【海】米軍供与のSNB-5の最初の1機を受領
7月1日【空】松島、築城、美保、岐阜の各基地が米軍から移管
1日【海】TBM装備の第3飛行隊(鹿屋航空隊)を八戸航空隊に移管、第11飛行隊と改称
15日【空】三沢に臨時北部航空司令部訓練隊を編成
8月1日【空】臨時航空訓練部(入間川)を解散、府中に航空集団を編成
【空】入間川に航空集団司令部臨時中部司令所を編成
【空】府中に航空保安管制気象群を編成
【空】第2操縦学校、松島から宇都宮に移動
【空】松島に第2操縦学校臨時松島訓練隊(T-6)を編成
【空】宇都宮、府中の各基地を設置、宇都宮分屯基地を廃止
20日【陸】西部方面航空隊、小月から託麻原に移動
9月2日【空】千歳基地を設置
【空】第2航空団、浜松から千歳に移動
15日【空】小牧飛行場が米軍から返還
10月1日【空】築城基地を設置
【空】臨時築城派遣隊を第3操縦学校と改称
11月1日【空】入間川に臨時訓練部飛行隊(T-33A)を編成
11日【空】航空救難要員教育訓練のため第1基地業務群(浜松)にヘリコプター小隊(H-19C)を編成
26日【空】富士T1F2(T-1A)初公開
12月1日【空】松島に第3航空団を編成
【空】新田原基地を設置
【空】新田原に第3操縦学校分校(T-33A)を編成

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《1958年(昭和33年)》

1月2日【海】米軍供与のS-58(HSS-1)の最初の2機を受領
10日【空】木更津、岐阜の各基地を設置
16日【空】MSA協定にもとづきF-86D×4機受領
19日【空】富士T1F2(T-1A)初飛行
2月1日【海】岩国航空教育派遣隊を岩国航空教育隊と改称
16日【空】松島に第4航空団を編成
3月16日【海】呉地方隊隷下に徳島航空隊を編成
18日【空】浜松に臨時救難航空隊(H-19C)を編成
25日【空】T-1Aの1,2号機(85-5801/5802)受領
【空】宇都宮に臨時第2航空教育隊を編成
【空】岐阜に整備学校分校を編成
4月1日【海】第6飛行隊(鹿屋航空隊)を徳島航空隊に移管、第21飛行隊と改称
6月この月【陸】明野に第10管区第10航空隊を編成(7月とする資料あり)
16日【空】岐阜基地が米空軍から返還
7月26日【空】臨時第2航空教育隊、宇都宮から熊谷へ移動
8月1日【空】航空集団を航空総隊に改編、航空総隊司令部と北部・中部航空方面隊を編成
【空】臨時北部航空司令部訓練隊(三沢)を北部航空方面隊司令部に改編
【空】航空集団司令部臨時中部司令所(入間川)を中部航空方面隊司令部に改編
【空】第2航空団(千歳)に第6飛行隊(Fー86F)を編成(1959年8月1日とする資料あり)
【空】第3航空団(松島)に第101飛行隊(F-86D)を編成、部隊を岐阜に置く
【空】第2操縦学校分校(仙台)を第2操縦学校第1分校と改称
【空】第2操縦学校臨時松島訓練隊を第2操縦学校第2分校と改称、松島から静浜へ移動
【空】臨時第2航空教育隊(熊谷)を第2航空教育隊と改称
【空】矢の目基地を仙台基地と改称
【空】三沢、熊谷、目黒、入間、静浜の各基地を設置
【空】浜松基地を廃止、浜松北・浜松南各基地を設置
5日【海】八戸航空隊に第2飛行隊(P2V-7)を編成
9月1日【空】臨時訓練部飛行隊(入間)を解散、航空総隊司令部飛行隊を編成
【空】臨時松島派遣隊(松島)を解散
【空】八雲分屯基地を設置、八雲基地隊を編成
15日【空】美保飛行場が米軍から返還
16日【海】第11飛行隊(八戸航空隊)、第21飛行隊(徳島航空隊)を解散、徳島航空隊隷下に新たに第11,第12飛行隊(S2F-1)を編成(9月1日とする資料あり)
10月1日【空】臨時美保派遣隊を輸送航空団と改称、隷下に輸送航空隊を編成
【空】臨時救難航空隊を救難航空隊と改称、隷下に救難教育隊(H-19C,H-21B)を編成
【空】航空保安管制気象群(府中)に飛行点検隊(C-46D)を編成、本隊を入間に、飛行隊を美保に置く
【空】松島に管制教育団を編成、小牧で移動訓練開始
【空】美保基地を設置
6日【空】第3航空団、松島から小牧に移動
【空】第101飛行隊(第3航空団)、岐阜から小牧に移動
17日【空】輸送航空団に木更津訓練隊(C-46)を編成
19日【空】浜松北基地開庁記念式典で第1航空団のF-86Fによる初の公開アクロ飛行
11月1日【空】第5飛行隊、第1航空団から第4航空団に移管、浜松から松島に移動
24日【海】米軍供与のR4D-6の最初の1機を受領
12月1日【空】木更津訓練隊(輸送航空団)を木更津派遣隊と改称
16日【海】岩国航空教育隊を岩国教育航空隊と改称
【海】鹿屋航空隊教育部を鹿屋教育航空隊と改称
25日【空】百里分屯基地を設置

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《1959年(昭和34年)》

この年【陸】V-44A×2機(50001/50002)受領
1月25日【空】C-46定期運航開始
2月1日【空】救難航空隊千歳救難分遣隊(H-19C,H-21B)を編成
3月1日【空】第3航空団(小牧)に第102飛行隊(F-86D)を編成
【空】春日に西部航空司令所を編成
20日【陸】霞ヶ浦にて航空学校第1ヘリコプター隊(第1ヘリコプター団の母体)の編成完結
【空】春日基地を設置
21日【空】美保基地開庁式
25日【空】T-33Aライセンス生産最終号機(91-5410)受領
26日【空】第2航空団F-86Fでとど射撃(3頭撃沈)
5月12日【空】小牧基地を設置
【空】管制教育団、松島から小牧に移動
15日【空】救難航空隊小牧救難分遣隊(H-19C,H-21B,T-6G)を編成
16日【海】徳島航空基地にて第13飛行隊(S2F-1)を編成、同日八戸航空隊に編入(移動は5月26日)
6月1日【空】飛行教育団を編成
  • 第1操縦学校(小月)を第11飛行教育団と改称
  • 第1操縦学校分校(防府)を第12飛行教育団と改称
  • 第2操縦学校(宇都宮)を第13飛行教育団と改称
  • 第2操縦学校第1分校(仙台)を第14飛行教育団と改称
  • 第2操縦学校第2分校(静浜)を第15飛行教育団と改称
  • 第3操縦学校(築城)を第16飛行教育団と改称
  • 第3操縦学校分校(新田原)を第17飛行教育団と改称
  • 整備学校(浜松)を第1術科学校と改称
【空】木更津派遣隊(輸送航空団)を木更津航空隊と改称
この月【空】入間にレーダー評価隊を編成
6月1日【空】飛行点検隊(航空保安管制気象群)、美保から木更津に移動
11月1日【空】第6飛行隊(第2航空団・千歳)、新田原基地において移動訓練開始、西部航空司令所の指揮下に入る
6日【空】次期主力戦闘機F-XにF-104Cが決定
12月1日【空】松島に第5航空団を編成
4日【陸】航空学校(明野)に霞ヶ浦分校を編成(1960年2月11日とする資料あり)
11日【海】P2V-7の川崎重工製ライセンス生産1号機(4617)受領、八戸航空隊に配備
28日【空】C-46×12機を米国から有償で受領

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