自衛隊航空略年表(1965年〜1969年)

〜1964年1965年1966年1967年1968年1969年1970年〜


《1965年(昭和40年)》

この年【海】P2V-7ライセンス生産最終号機(4664)受領
【海】S-62Jの三菱重工製ライセンス生産1号機(8921)受領
1月この月【空】特別飛行研究班(第1航空団第2飛行隊・浜松)を戦技研究班と改称
30日【空】第33教育飛行隊(第1航空団)、築城から浜松北に移動
3月24日【海】臨時小月派遣隊を小月教育航空群と改称
【海】第201教育航空隊、鹿屋教育航空群より小月教育航空群に移管、鹿屋から小月に移動
【海】小月航空基地隊救難飛行隊(S-62J)を編成
【海】第204教育航空隊(鹿屋)、航空教育集団直轄部隊から鹿屋教育航空群隷下に移管
【海】臨時小松島派遣隊(第21航空群・館山)を小松島航空隊と改称(15日とする資料あり)
30日【空】日本航空機製造YS-11の1,2号機(YS-11P 52-1151/1152)受領
31日【空】第6航空団(小松)に第205飛行隊(F-104)を編成
6月25日【海】S-61Aの三菱重工製ライセンス生産1号機(8181)受領
8月1日【空】YS-11による定期運航開始
11月20日【空】第2飛行隊(第1航空団・浜松)を解散、戦技研究班は第1飛行隊所属となる
【空】航空救難群に百里救難隊(H-19C)を編成
12月20日【空】第7航空団、入間から百里に移動(司令部は入間のまま)
【空】第7航空団(百里)に第206飛行隊(F-104)を編成
【空】第9飛行隊(第7航空団・入間)を解散

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《1966年(昭和41年)》

3月31日【空】第7航空団(百里)に第207飛行隊(F-104)を編成
【海】八戸航空基地隊救難飛行隊がS-55AからS-62に機種改編
4月5日【陸】KV-107II-4の1,2号機(51701/51702)を受領
7月21日【海】P2V-7改の1号機(4637,後に4701)が初飛行
25日【空】百里分屯基地を廃止、百里基地を設置
9月30日【海】P2V-7改(4701)を受領、量産機はP-2Jという呼称に決定
【海】第201教育航空隊(小月教育航空群)のSNJ退役、SNJ用途廃止
12月15日【空】千歳派遣隊(実験航空隊)を解散
【空】新潟基地隊を中部航空方面隊から航空救難群に異動

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《1967年(昭和42年)》

3月この月【海】YS-11Mの1号機(9041)を受領、第51航空隊(第4航空群・下総)に配備
1日【海】大村航空隊隷下に大村第1飛行隊(UF-2)、大村第2飛行隊(HSS-1N)を編成
7月7日【空】H-21用途廃止
10日【陸】三菱LR-1の1号機(22001)を受領
28日【空】第7航空団司令部、入間から百里に移動
10月16日【海】YS-11Mを第205教育航空隊(鹿屋教育航空群)に配備
25日【空】新潟基地隊(航空救難群)を解散、新潟救難隊を新編
11月8日【空】第8飛行隊(第82航空隊)、岩国から小牧に移動
21日【空】KV-107II-5の1号機(74-4801)受領
30日【空】三菱MU-2Sの1号機(73-3201)受領
12月1日【空】第102飛行隊、第105飛行隊(第3航空団・小牧)を解散
【空】第8飛行隊、第82航空隊から第3航空団に移管
【空】第82航空隊(岩国)を解散
【空】岩国基地を廃止(海上自衛隊に移管)
2日【空】F-104Jライセンス生産最終号機(76-8710)受領

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《1968年(昭和43年)》

3月1日【陸】第1ヘリコプター隊(航空学校)を第1ヘリコプター団に改編、隷下に第1、第2ヘリコプター隊を編成
【陸】北部、東北、中部、西部各方面航空隊に各方面ヘリコプター隊を編成
22日【陸】第1ヘリコプター隊(第1ヘリコプター団)、霞ヶ浦から木更津に移動
6月1日【空】木更津航空隊(輸送航空団)、木更津から入間に移動し入間航空隊と改称
【空】電子訓練隊(航空総隊司令部飛行隊)、木更津から入間に移動
【空】飛行点検隊(保安管制気象団)、木更津から入間に移動
【陸】第2ヘリコプター隊(第1ヘリコプター団)、霞ヶ浦から木更津に移動
26日【海】小笠原諸島日本復帰に伴い、第4航空群に硫黄島航空基地分遣隊、南鳥島航空派遣隊を編成
【海】第51航空隊岩国航空分遣隊(PS-1)を編成
7月31日【海】新明和PS-1試作1号機(5801)を受領、第51航空隊岩国航空分遣隊に配備
10月1日【空】輸送航空隊(輸送航空団・美保)を第401飛行隊と改称
【空】入間航空隊(輸送航空団・入間)を第402飛行隊と改称
【空】北部航空方面隊支援飛行班(三沢)を編成、T-33Aを配備
【空】西部航空方面隊支援飛行班(春日)を編成、T-33Aを配備(1972年10月11日とする資料あり)
【空】第101飛行隊(第3航空団・小牧)を解散
【空】第103飛行隊(第2航空団・千歳)を解散
【空】F-86D用途廃止
【空】入間救難隊(航空救難群)を解散
11月1日【空】次期主力戦闘機F-XにF-4Eが決定
30日【海】第221教育航空隊、航空教育集団直轄部隊から小月教育航空群隷下に移管、館山から小月に移動

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《1969年(昭和44年)》

3月6日【陸】第6飛行隊(東北方面航空隊)、霞目から神町に移動
10日【陸】OH-6Jの川崎重工製ライセンス生産1〜11号機(31001/31011)受領
7月1日【空】C-46による定期運航中止
29日【海】第51航空隊(下総)、第4航空群隷下から航空集団直轄部隊となる
8月1日【陸】東部方面航空隊(北宇都宮)に東部方面ヘリコプター隊を編成
8日【海】川崎P-2Jの量産1号機(4702)初飛行
10月7日【海】P-2Jの量産1号機受領
12月23日【海】第211教育航空隊(航空教育集団直轄・館山)にHSS-2配備

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