自衛隊航空略年表(1970年〜1974年)

〜1969年1970年1971年1972年1973年1974年1975年〜


《1970年(昭和45年)》

この年【陸】第1ヘリコプター団(木更津)に本部管理中隊を編成
2月28日【海】YS-11T-Aの1号機(6901)を受領、第51航空隊(航空集団直轄・下総)に配備
3月11日【空】T-6用途廃止
5月14日【海】YS-11T-Aを第205教育航空隊(鹿屋教育航空群)に配備
11月12日【空】日本航空機製造XC-1の1号機初飛行

戻る


《1971年(昭和46年)》

この年【陸】TH-55Jの1号機(61301)受領
【陸】高遊原分屯地を開設、第8飛行隊と西部方面飛行隊(西部方面航空隊)が目達原から移動
2月14日【空】XC-1の1号機(18-1001)受領
27日【海】第1航空隊(第1航空群・鹿屋)にP-2J配備
3月1日【空】航空救難群を航空救難団と改称
【空】小牧救難隊、浜松に移動し浜松救難隊と改称
【空】救難教育隊、入間から小牧に移動
4月28日【海】第2航空隊(第2航空群・八戸)にP-2J配備
6月25日【海】厚木基地の米軍からの一部返還に伴い、第4航空群(下総)に厚木航空基地分遣隊(S-62J)を編成
7月1日【空】第5飛行隊(第4航空団・松島)を解散
【空】第1航空団(浜松)に松島派遣隊を編成、第5飛行隊の機材を引き継ぐ
【海】第13航空隊(第2航空群・八戸)を解散
【海】第204教育航空隊(鹿屋教育航空群)を解散
15日【空】YS-11最終号機(YS-11C 12-1163)受領
16日【空】F-4EJの1,2号機をマクダネル・ダグラス社セントルイス工場で受領
20日【空】三菱XT-2の1号機初飛行
25日【空】F-4EJの1,2号機(17-8301/8302)が小牧に到着
30日【空】松島派遣隊(第1航空団)のF-86Fと全日空のB.727が空中衝突(雫石事故)、全航空自衛隊機飛行停止
8月30日【空】プロペラ機、回転翼機の飛行再開
9月27日【空】ジェット機の飛行再開
12月1日【空】第81航空隊、八戸から三沢に移動
15日【空】XT-2の1号機(19-5101)受領
20日【海】鹿屋に航空集団直轄部隊として第61航空隊(YS-11M,R4D-6,S2F-U)を編成、直後に厚木に移動

戻る


《1972年(昭和47年)》

この年【陸】V-44A用途廃止
【海】OH-6Jの川崎重工製ライセンス生産1号機(8761)受領
2月1日【空】八戸基地を廃止(海上自衛隊に移管)
3月1日【陸】臨時第1混成群(北熊本)隷下に臨時第101飛行隊(高遊原)を編成
7日【陸】東部方面航空隊(北宇都宮)に立川派遣隊を編成
31日【空】板付飛行場、日本に返還
4月26日【海】第203教育航空隊(鹿屋教育航空群)にP-2J配備
5月15日【空】沖縄の日本復帰に伴い那覇分屯基地設置、臨時那覇施設隊を編成
【海】第1航空群(鹿屋)に臨時那覇施設管理隊を編成
7月16日【海】臨時那覇施設管理隊(那覇)を臨時沖縄航空派遣隊と改称
23日【空】航空救難団、沖縄に救難機を配備
31日【空】F-4EJ部隊使用承認
8月1日【空】第7航空団(百里)に臨時F-4EJ飛行隊を編成
【空】臨時那覇施設隊(那覇)を解散、臨時那覇派遣隊を編成
10月11日【空】臨時那覇派遣隊(那覇)を解散、臨時第83航空隊を編成
【空】那覇分屯基地を廃止、那覇基地を設置
30日【空】航空救難団に臨時那覇救難隊(KV-107II,MU-2S)を編成
11月7日【空】第207飛行隊(第7航空団)、百里から那覇に移動
10日【空】第207飛行隊、第7航空団から臨時第83航空隊に移管
21日【陸】臨時第101飛行隊、高遊原から那覇に移動
12月21日【海】臨時沖縄航空派遣隊を解散、臨時沖縄航空隊(P-2J)を編成
27日【陸】東部方面飛行隊(東部方面航空隊)、北宇都宮から立川に移動

戻る


《1973年(昭和48年)》

この年【陸】HU-1Hの富士重工製ライセンス生産1号機(41601)を受領
1月11日【空】H-19用途廃止
3月この月【海】第101航空隊(第21航空群・館山)隷下に第121飛行隊(HSS-2艦上型)を編成
1日【海】第11航空隊、第3航空群から第1航空群に移管、徳島から鹿屋へ移動
【海】岩国に第31航空群と隷下に第31航空隊(PS-1,S2F-C)を編成
【海】徳島教育航空群を編成
【海】第202教育航空隊、宇都宮教育航空群から徳島教育航空群に移管、宇都宮から徳島に移動
【海】第12航空隊(第3航空群・徳島)を解散(1972年3月1日とする資料あり)
【海】第3航空群(徳島)を解散
【海】宇都宮教育航空群を解散
19日【陸】航空学校岩沼分校が北宇都宮に移動、航空学校宇都宮分校と改称
4月23日【海】第211教育航空隊(航空教育集団直轄・館山)にOH-6J配備
5月3日【陸】東部方面航空隊本部、北宇都宮から立川に移動
6月30日【空】C-1部隊使用承認
8月23日【空】第4航空団(松島)、中部航空方面隊から飛行教育集団に移管
【空】第4航空団(松島)に第35教育飛行隊(T-33A)を編成
【空】松島派遣隊(第1航空団)を解散
10月16日【空】那覇に南西航空混成団を編成、隷下の各部隊は臨時を取る
【空】南西航空混成団隷下に支援飛行班を編成、T-33Aを配備
【空】臨時F-4EJ飛行隊(第7航空団)を解散、第301飛行隊を編成
【空】臨時那覇救難隊を那覇救難隊と改称
【海】臨時沖縄航空隊(那覇)を沖縄航空隊と改称
【海】厚木航空基地分遣隊(第4航空群)を解散、厚木航空基地隊救難飛行隊を新編
【陸】第101飛行隊(第1混成団・那覇)が正式発足
12月13日【空】C-1の量産1号機(38-1003)入間に配備、運用試験開始
25日【海】航空集団司令部と第4航空群が下総から厚木に移動

戻る


《1974年(昭和49年)》

2月6日【海】第211教育航空隊(航空教育集団直轄)、館山から鹿屋に移動
10日【海】下総に航空集団直轄部隊として第111航空隊(KV-107)を編成
【海】下総教育航空群を編成
【海】第203教育航空隊、鹿屋教育航空群から航空教育集団直轄部隊となる
【海】第205教育航空隊、鹿屋教育航空群から下総教育航空群に移管、鹿屋から下総に移動
【海】第205教育航空隊(下総教育航空群)にP-2J配備
16日【海】鹿屋教育航空群を解散
3月22日【空】V-107、MU-2部隊使用承認
4月11日【空】実験航空隊(岐阜)を解散、新たに航空実験団(岐阜)を編成
5月この月【海】TC-90の1号機(6801)受領、第202教育航空隊(徳島教育航空群)に配備
16日【海】鹿屋教育航空群を再編、第203教育航空隊(P-2J)を隷下に置く
【海】第211教育航空隊(鹿屋)、航空教育集団直轄から鹿屋教育航空群隷下に移管
7月この月【海】第3航空隊(第4航空群・厚木)にP-2J配備
18日【空】第2航空団(千歳)に臨時第302飛行隊(F-4EJ)を編成
29日【空】T-2部隊使用承認
9月26日【空】KM-2B(T-3原型機)初飛行
10月1日【空】臨時第302飛行隊(第2航空団・千歳)を第302飛行隊と改称
【空】第201飛行隊(第2航空団・千歳)を解散
【空】偵察航空隊百里先遣隊を編成
16日【海】新明和PS-1改救難飛行艇(US-1)の1号機初飛行
11月27日【海】第121飛行隊(第21航空群第101航空隊・館山)を第121航空隊に改編し第21航空群隷下に異動、合わせてHSS-2Aも配備
12月4日【空】RF-4Eの1号機(47-6901)が百里に到着、百里先遣隊に配備

戻る


inserted by FC2 system