自衛隊航空略年表(2000年〜2004年)

〜1999年2000年2001年2002年2003年2004年2005年〜


《2000年(平成12年)》

1月24日【陸】OH-1量産1号機(32605)受領、航空学校(明野)に配備
2月1日【海】P-3系エアフレームのライセンス生産最終号機となるUP-3D電子戦訓練支援機の3号機(9163)受領
3月14日【空】F-2B量産1号機(03-8103)が初飛行
27日【陸】北宇都宮に第12ヘリコプター隊編成準備隊(第12師団)を編成
4月26日【空】1999年11月22日の墜落事故以来飛行停止の続いていたT-33Aが、飛行を再開することなく退役することが決定
27日【海】HSS-2B改造のS-61A-1 1号機(8186、元HSS-2B 8156)が初飛行(受領は6月)
6月この月【海】OP-3C改造1号機(5043)がロールアウト
29日【空】T-33Aを最後まで運用していた航空総隊司令部飛行隊が主催し入間基地にてT-33A退役式を実施
9月15日【空】第202飛行隊(第5航空団・新田原)解散記念式典、F-15J(02-8917)が記念塗装を施してラストフライトを実施
19日【海】OP-3C改造1号機(5043)が初飛行
22日【空】F-2A/B部隊使用承認
25日【空】F-2A量産1号機(03-8503)受領、しかし26日に予定されていた臨時F-2飛行隊(第3航空団・三沢)への配備は10月2日に延期
【空】T-3初等練習機の後継機に富士T-3改を選定。1998年7月に一度選定されT-7という名称まで決まっていたが、メーカーの不祥事のため選定を取り消されていたもの。ピラタスPC-7との再度の入札の結果、再び選定された。
10月1日【空】第3航空団(三沢)隷下に臨時F-2飛行隊(F-2A/B)を編成、翌2日にF-2A量産1号機(03-8503)を配備
【陸】第12ヘリコプター隊編成準備隊第1飛行隊(第12師団・北宇都宮)にUH-60JAを配備
6日【空】第202飛行隊(第5航空団・新田原)が解散
【空】臨時飛行教育航空隊(新田原)を飛行教育航空隊に改編、隷下に第23飛行隊(F-15J/DJ)を編成
11月16日【空】臨時F-2飛行隊(第3航空団・三沢)に対し2機目のF-2となるF-2B量産2号機(03-8104)を配備
12月 この月【海】硫黄島航空基地隊救難飛行隊(第4航空群・硫黄島)にUH-60J配備
14日【陸】AH-1Sライセンス生産最終号機(73492)受領

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《2001年(平成13年)》

2月1日【空】第13飛行教育団第2教育飛行隊(芦屋)に残ったT-1A最後の2機(05-5812,15-5816)が退役、第13飛行教育団はT-4への機種改変を完了
3月 1日【海】OP-3C改造1号機(5043)が第51航空隊第511飛行隊(航空集団直轄・厚木)に配備
5日【海】第8航空隊(第31航空群・岩国)が解散
【海】第31航空群(岩国)隷下に第91航空隊を新編、UP-3D,U-36A,LC-90を第81航空隊(第31航空群・岩国)より移管
7日【海】硫黄島航空基地隊救難飛行隊(第4航空群・硫黄島)に配備されていたS-61A救難型の最後の機体(8952)が、厚木航空基地にてラストフライトを実施。これでS-61A救難型は全機退役
14日【空】第3飛行隊(第3航空団・三沢)がF-1運用終了式典を行う
16日【空】第22飛行隊(第4航空団・松島)が解散記念式典を行う
22日【海】舞鶴飛行場の運用開始に伴い、第21航空群(館山)隷下に舞鶴航空基地隊を新編、同時に第123航空隊(第21航空群・館山)隷下に舞鶴航空分遣隊(SH-60J)を新編
27日【陸】第12師団(司令部・相馬原)を陸上自衛隊初の空中機動旅団として第12旅団に改編、併せて相馬原飛行場の運用を開始
【陸】第12旅団(旧・第12師団)隷下の第12飛行隊を第12ヘリコプター隊に改編、隊本部および本部付隊(OH-6D)と第2飛行隊(CH-47J/JA)を相馬原に、第1飛行隊(UH-60JA)を北宇都宮に置く
【陸】陸上幕僚監部直轄部隊として開発実験団と隷下に飛行実験隊(OH-1)を新編、部隊を明野に置く
【空】第22飛行隊(第4航空団・松島)が解散
【空】F-1装備の第3飛行隊(第3航空団・三沢)を解散、臨時F-2飛行隊を第3飛行隊に改編
7月この月【海】SH-60Jを小松島航空隊(呉地方隊直轄・小松島)に配備
8月8日【海】SH-60J改(SH-60K)の1号機(8401)がロールアウト、翌9日にはホバリングに成功
27日【陸】AH-1Sの後継機となる次期戦闘ヘリコプターとしてAH-64Dの採用を発表
10月4日【空】第402飛行隊の最後のYS-11P(62-1153)がラストフライトを実施、第403飛行隊に移管。これは乗員教育を行っている第403飛行隊で輸送用YS-11を一元的かつ効率的に運用することになったため。
11月26日【海】【空】次期固定翼哨戒機(P-X)と次期輸送機(C-X)の技術開発担当企業及び主担当を川崎重工業と決定
12月14日【空】「空中における航空機に対する給油機能及び国際協力活動にも利用できる輸送機能を有する航空機」(いわゆる空中給油・輸送機)をボーイング767ベースの機体とする事を決定

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《2002年(平成14年)》

1月この月【空】CH-47JA(空自呼称はCH-47J(LR))の1号機(27-4487)が入間ヘリコプター空輸隊(入間)に配備
3月 この月【海】OP-3C改造1号機のシリアル変更(5043→9131)、第81航空隊(第31航空群・岩国)に配備
25日【陸】西部方面ヘリコプター隊第3飛行隊(高遊原)に残った最後のKV-107IIA-4(51818)が退役、KV-107IIA-4用途廃止
27日【陸】航空学校霞ヶ浦分校を霞ヶ浦校に、宇都宮分校を宇都宮校にそれぞれ改称
4月1日【空】第4航空団(松島)隷下に臨時教育F-2飛行隊(F-2B)を編成、1,2番機(23-8109,-8110)が松島基地に到着
5月この月【空】第21飛行隊(第4航空団・松島)に残ったT-2前期型が全機退役し、残るT-2前期型は飛行開発実験団の#101のみとなる
6月20日【空】新初等練習機(T-3改)量産1号機(26-5901)が公開
24日【海】SH-60Kの1,2号機(8401,8402)受領、第51航空隊(航空集団直轄・厚木)に配備
7月9日【空】新初等練習機の量産1号機(26-5901)が初飛行
9月19日【空】新初等練習機の量産1,2号機(26-5901/5902)受領、飛行開発実験団(岐阜)に配備。
10月18日【空】飛行開発実験団に残った最後のT-2前期型(19-5101)が退役。残るT-2は後期型のみとなる。
12月1日【海】小松島航空隊(呉地方隊直轄・小松島)がSH-60Jへの機種改編を完了、HSS-2は大湊航空隊(大湊地方隊直轄・大湊)と第51航空隊第513飛行隊(航空集団直轄・厚木)に残るのみとなる

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《2003年(平成15年)》

3月6日【空】T-4生産最終号機(36-5812)受領
27日【空】新初等練習機に部隊使用承認、制式名称がT-7となる
4月3日【空】T-7の量産1,2号機(26-5901/5902)が防府北基地に到着、第12飛行教育団に配備
22日【海】US-1A改の1号機(9901)がロールアウト
6月5日【海】MH-53EとS-61A-1の後継機となるMCH(新掃海・輸送ヘリコプター)としてEH101の採用を決定
7月7日
8日
【海】海上自衛隊に残った3機のHSS-2Bのうち、7日には大湊航空隊(大湊地方隊直轄・大湊)の2機(#8165,#8167)が、8日には第51航空隊第513飛行隊(航空集団直轄・厚木)の1機(#8164)が相次いで退役。残るHSS-2/S-61A系の機体は第101航空隊(第21航空群・館山)としらせ飛行科(横須賀地方隊・館山)のS-61A-1のみとなる。
12月この月【海】UH-60J生産最終号機(8979)受領
19日【海】US-1A改の1号機(9901)が初飛行

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《2004年(平成16年)》

3月10日【空】第21飛行隊(第4航空団・松島)に最後に残ったT-2後期型2機がラストフライト。これによりT-2は第6飛行隊(第8航空団・築城)と飛行開発実験団に残るのみとなる
22日【空】秋田救難隊(航空救難団・秋田)にUH-60Jを配備
24日【海】US-1A改1号機(9901)受領、第51航空隊(岩国)に配備
29日【空】T-2装備の第21飛行隊(第4航空団・松島)を解散、臨時教育F-2飛行隊を第21飛行隊に改編
8月3日【空】第6飛行隊(第8航空団・築城)にF-2Bを配備
8日【空】防衛庁、F-2の新規調達中止を発表
9月22日【空】E-2C(第601飛行隊・三沢)のホークアイ2000相当改修1号機(34-3451)が三沢基地に到着、受領記念行事が行われる。
12月15日【陸】陸上自衛隊向けAH-64Dの1号機がアメリカ、アリゾナ州メサのボーイング社工場で初飛行

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