ホーカー・ビーチクラフトT-400
《シリアルナンバー》
T-400
| 41-5051/5055 51-5056/5058 71-5059 01-5060 21-5061/5062 41-5063 |
《実機について》
原型は三菱重工が開発したターボファン双発ビジネスジェットMU-300で、1978年8月29日に初飛行しました。1988年に製造権をアメリカのビーチクラフト社が買い取ってビーチジェット400として製造・販売を続け、1990年には胴体を延長して最大9席とした400Aが発表されました。同じ年にアメリカ空軍が、同機の機体・降着装置の強度を増しバードストライク対策としてウィンドシールドと主尾翼前縁を強化したタイプをTTTS(給油・輸送機訓練システム)としてT-1Aジェイホークの名称で採用しています。
なお、ビーチクラフト社は1980年にレイセオン社の子会社となり、1994年9月にはレイセオン・コーポレート・ジェッツ社(1993年8月にレイセオン社に買収された、元BAe社コーポレートジェット部門)と合併してレイセオン・エアクラフト社となりました。その後2007年にレイセオン・エアクラフト社は売却されホーカー・ビーチクラフト社として再編されています。
《自衛隊での使用状況》
航空自衛隊では1991年8月に、輸送機、救難機などの多発機パイロット訓練用としてビーチジェット400AをT-400として採用しました。基本的にはアメリカ空軍のT-1Aに準じていますが、T-400ではINSとスラストリバーサを装備しています。1号機は1994年2月16日に納入され、2003年度末までに合計13機が引き渡されています。
第41教育飛行隊は2020年度中に第3輸送航空隊(航空支援集団)隷下から第1航空団(航空教育集団)隷下に異動し、合わせて機体を美保基地から浜松基地に移動させる予定となっていましたが、浜松基地側の受け入れ態勢が整っていなかったため2021年度中に延期されました。2021年10月15日には美保基地で壮行会が開催され、10月28日までに全ての機体の浜松基地への移動が完了し、29日付けで第1航空団隷下への異動が完了しました。
《性能諸元》
| T-400
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全幅 | 13.25m |
全長 | 14.75m |
全高 | 4.25m |
主翼面積 | 22.43u |
運用重量 | 4,850kg |
最大離陸重量 | 7,320kg |
発動機 | プラット&ホイットニー・カナダJT15D-5 ターボファン×2 |
推力 | 1,330kg/1,381rpm(1基) |
燃料容量 | 740gal(機内) |
最大速度 | M0.76(外部搭載なし) |
巡航速度 | 830km/h |
実用上昇限度 | 40,000ft |
飛行航続距離 | 3,150km |
乗員 | 2名+乗客9名(最大) |
《配備部隊》
部隊名 | 上位組織 |
飛行開発実験団 | |
第41教育飛行隊 | (第3輸送航空隊)→第1航空団 |
当初は飛行開発実験団で運用試験が行われた後、全機が第41教育飛行隊に配備されています。 |
《部隊マーク》
臨時第41教育飛行隊→第41教育飛行隊 |
旧マーク | 制定 | 不明 (1994年7月29日に美保基地の第3輸送航空隊隷下に臨時第41教育飛行隊として編成、1995年6月1日に第41教育飛行隊として発足) |
図柄 | 部隊番号の「41」を青/赤でデザインしたマーク |
現マーク | 制定 | 2021年10月ごろ? |
図柄 | 第1航空団伝統の黄/黒チェッカーの下に緑の帯を配したマーク |
飛行開発実験団 |
制定 | 1964年7月(実験航空隊時代)、1989年3月10日(飛行開発実験団改編時) |
図柄 | 衝撃波と人工衛星の軌道を組み合わせたデザインの実験航空隊〜航空実験団の青いマークから「APW」の文字を消し、デザインが若干変更された飛行開発実験団のマーク |
《キット》
1/48 |
Wing Factory | T-400 | レジンキット。元防衛庁(防衛省)職員の方が立ち上げた工房の製品です。風防と胴体窓は透明レジン加工済み。Wing Factory のWebサイトから購入できます。
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1/72 |
Sova-M | T-400
| 2023年7月発売、ウクライナ製の簡易インジェクションキット。簡イとはいえついにこの機体がインジェクションキットで出たのは感慨深い…。...( = =) トオイメ
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《デカール》
1/48 |
Wing Factory | キット付属 | T-400 | 第41教育飛行隊[第3輸送航空隊] |
1/72 |
Sova-M | キット付属 | T-400 | 第41教育飛行隊[第3輸送航空隊] | 通常塗装 |
空自50周年記念塗装 |
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