川崎P-2J,UP-2J『おおわし』

《シリアルナンバー》

基本型式 P-2J
4701(元P2V-7 4637),4702/4783
改造型 P-2J・VSA
4716
UP-2J(標的曳航型)9161(元4717),9162(元4719)
UP-2J(ELINT型)9163(元4757),9164(元4763)

《実機について》

 P-2JP2V-7の後継機として同機を近代化改修したもので、胴体の延長、エンジンのターボプロップ化、ラダーの増積に伴う垂直尾翼の形状変更、主車輪のダブル化などが主な外形状の変更点です。P2V-7 #4637を改造した試改修機P2V-7改(後にP-2J)は1966年7月21日に、量産型は1969年8月8日初飛行しました。もともとは国産対潜哨戒機PX-L実用化までのつなぎとして開発されたものですが、その後PX-Lが白紙撤回されてしまったため、主力対潜哨戒機として活躍しました。
 後に2機がS2F-Uの後継機としてUP-2Jに改造され、標的曳航などに使用されました。また、別の2機が電子戦データ収集(ELINT)型に改造されましたが、こちらも名称は同じUP-2Jでした。そのほか、1機がVSA(Variable Stability Test Aircraft)可変特性実験機に改造されましたが、外形上の変化は機首に標準ピトー管が付けられた程度で、P2V-7・VSAの時のような顕著なものはありません。

《自衛隊での使用状況》

 P-2Jの量産型は1969年10月7日から海上自衛隊に引き渡しが開始され、1971年2月に部隊配備が始まり、1979年3月14日までに82機(試改修機を除く)が配備されました。現在ではP-3Cと交替し、1994年5月26日付で全機退役しています。また、UP-2J(標的曳航型)1979年12月19日に1号機が引き渡されましたが、UP-2J(ELINT型)1号機の引き渡し時期は不明です。現在は標的曳航型はU-36Aと、ELINT型はEP-3と交替し1991年12月までに全機退役しています。VSA可変特性実験機は引き渡し時期も退役時期も不明です。自衛隊での愛称はP2V-7と同じ『おおわし』です。

《性能諸元》

P-2J
全幅30.89m
全長29.26m
全高8.94m
主翼面積92.9u
運用重量20,400kg
最大離陸重量32,060kg
発動機ゼネラル・エレクトリックT64-IHI-10
ターボプロップ×2
出力2,850shp/15,600rpm(1基)
補助発動機石川島播磨J3-IHI-7C
ターボジェット×2
推力1,550kg/12,600rpm(1基)
プロペラハミルトンスタンダード
直径4.72m/3枚羽根
燃料容量3,820gal(3,020gal(機内)+400gal×2(翼端タンク))
最大4,520gal(700gal兵装ベイ内増加タンク)
最大速度556km/h(外部搭載なし)
巡航速度500km/h
哨戒速度287km/h
実用上昇限度42,000ft
海面上昇率2,130ft/min
行動半径1,482km
武装Mk.34魚雷×4または150kg対潜爆弾×16
12.7mmロケット弾×8
乗員12名

《配備部隊》

P-2J
(旧部隊名→)部隊名上位組織
第1航空隊第1航空群
第2航空隊第2航空群
第3航空隊第4航空群
第4航空隊第2航空群
臨時沖縄航空隊→沖縄航空隊→第5航空隊第5航空群
第7航空隊第1航空群
第51航空隊第511飛行隊航空集団直轄
第203教育航空隊鹿屋教育航空群
第205教育航空隊下総教育航空群

P-2J VSA可変特性実験機
部隊名上位組織
第51航空隊第511飛行隊航空集団直轄

UP-2J
部隊名上位組織
第51航空隊航空集団直轄
第61航空隊
第81航空隊第31航空群
標的曳航型もELINT型も最初は第51航空隊でテストされたあと第61航空隊に配備され、1983年3月30日に第81航空隊が編成されるとそちらに移管されました。

《部隊マーク》

第2航空隊
制定不明(P2V-7時代)
図柄赤と白で「VP-2」の文字を逆三角形にデザインしたマーク
1971年にP2V-7から機種改編した後も部隊マークを引き継いでいますが、1985年にP-3Cに機種改編した時に変更されました。
第3航空隊
制定1974年6月(P2V-7時代)
図柄厚木航空基地を表す「AT」の文字をオレンジ色の富士山と緑の木になぞらえてデザインしたマーク
1974年7月にP2V-7から機種改編した後も部隊マークを引き継いでいます。その後1984年にP-3Cに機種改編した後もデザインを若干変更して引き継がれています。
第4航空隊
制定不明(P2V-7時代)
図柄白い「おおわし」が黄の「4」を抱えたデザインのマーク
1980年にP2V-7から機種改編した後も部隊マークを引き継いでいます。その後1986年にP-3Cに機種改編した後も配色を変えて引き継がれています。
臨時沖縄航空隊→沖縄航空隊→第5航空隊
1972年12月21日に那覇航空基地において臨時沖縄航空隊として編成された当初はノーマーク
(1973年10月16日に沖縄航空隊と改称)
制定不明(沖縄航空隊時代)
(1981年7月15日に沖縄航空隊を第5航空群に改編、隷下に第5航空隊を編成)
図柄コールサインにちなんだペガサスを白でデザインしたマーク
このマークは1990年にP-3Cに機種改編した後もデザインを若干変更して引き継がれています。
第7航空隊
制定不明
(1987年12月1日に鹿屋航空基地の第1航空群隷下に編成)
図柄黄の北斗七星とコールサインにちなんだギリシャ文字の「Ω」を青で鹿屋航空基地のある鹿児島県の形にアレンジしたマーク
このマークは1992年にP-3Cに機種改編した後も引き継がれています。
第51航空隊
制定不明
図柄任務が似ている米海軍の実験開発飛行隊を表す「VX」をデザインしたディグロウと黄のマーク
第205教育航空隊
制定1979年5月(P2V-7時代)
図柄コールサイン「Tom Boy」の頭文字「TB」を黄でデザインしたマーク
(YS-11T/T-Aと同マーク)
1974年にP2V-7から機種改編した後も部隊マークを引き継いでいます。第205教育航空隊のP-2Jは1988年3月31日に退役しています。
第1航空隊第61航空隊第81航空隊第203教育航空隊は部隊マークを使用しませんでした。

《キット》

1/72 NMC
(North wing
 Model Craft)
P-2J
(レジン製改造パーツ)
ハセガワ1/72 P2V-7用改造パーツ。機首、エンジンナセル、3翔ペラ、ジェットエンジンポッド、胴体下のレドーム、主車輪、ラダー増積部分などのレジンパーツと、パソコンのプリンタで印刷された部隊マークのデカールが付属します。NMCのwebサイトから購入できます。
ラクーンモデルP-2J【絶版】レジンキット。デカールは入っていません。
1/144LG GOGOP-2J【限定版?】2010年4月発売のフルレジンキット。透明パーツも透明レジンです。メーカーの正体はよく判りません。下記のモノクロームGKの製品とデカールの内容が似ているので、ひょっとして?
モノクロームGKP-2J【限定版】2003年9月発売のフルレジンキット。透明パーツはインジェクションです。なお「モノクロームGK」はかつて存在した横浜の模型店「ラッキーサン」が立ち上げたレジンキットブランドでした。
GIGA ProP-2J【限定版】番外編。塗装済み半完成品なので番外としました。当初予定より半年以上遅れて2010年10月末にようやく発売されました。マーキングは第3/4/5/7/51航空隊と第205教育航空隊。また、第2弾として第1/2/3/7航空隊のP-2Jと第81航空隊のUP-2Jが2011年7月に発売されています。UP-2Jは塗装のみの表現でもちろんファイアビーなど付いてるはずはありませんでした(悲)。でもせっかくなんだからキットで出してホスイなぁ。
※このキット、最初はフジミがアナウンスしてたのに、製品にはフジミのフの字も書かれてません。何か大人の事情があったのかな?
UP-2J
(標的曳航型)
UP-2J
(ELINT型)
1/700 ピットロードP-2J【絶版】インジェクションキット。何かのキットの付録(笑)についてました。
エディオックP-2J「JMSDF AIRCRAFT SET」に付属。ホワイトメタル製。脚とデカールはついていません。

《デカール》

1/72 NMC改造パーツ
付属
P-2J第3航空隊[第4航空群]
第5航空隊[第5航空群]
第7航空隊[第1航空群]
第51航空隊
第205教育航空隊[下総教育航空群]
パソコンのプリンタで印刷されたものですので、普通のデカールとは取り扱いが若干異なります。その点を承知した上で使いませう。
1/144 LG GOGO
【限定版?】
キット付属P-2J第3航空隊[第4航空群]
第7航空隊[第1航空群]
第51航空隊
モノクロームGK
【限定版】
キット付属P-2J第3航空隊[第4航空群]
第7航空隊[第1航空群]
第51航空隊

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